
「南澤さん、当社では、数年前から新規事業としてOEMの製品開発を行っていますが、一向に進みません…」ーーーこれは、とある卸売業の役員の言葉です。
実はこの会社、数年前から新規事業に向けて動き出してはいたものの、ほとんど前に進んでいないという状況でした。
専任の新規事業スタッフがいるわけではなく、既存の営業や商品部門など、各部門からの寄せ集めで構成されたプロジェクトチーム。そして責任者は営業部門の部門長…。
聞けば、社長は定例会議で「新しい柱を育てよう」と言うものの、実行責任は部門長に委ねたまま。これでは進むべくして進まないわけです。
この企業だけに限ったことではなく、多くの組織において新規のチャレンジには慎重にならざるを得ません。なぜなら、かつては多くの組織が評価制度として「減点主義」を採用していたからです。
つまり、何かに挑戦して失敗すれば評価が下がる。反対に何もしなければ評価は維持される。この構造では、誰も積極的に新しいことへ挑もうとは思いません。
このような状況は決してその企業だけの問題ではありません。あちこちの現場で同じような声を耳にします。
私たちは「リスク=悪いもの」と捉えがちですが、果たして本当にそうでしょうか?
人は、安心したいという気持ちと、挑戦したいという相反する気持ちを持っています。これについては、心理学者のマズローも、「人が本来持つ欲求の中には、安心と挑戦が矛盾する形で共存している」と言っています。
企業経営においても同じことが言えるのではないでしょうか。リスクを避けることで短期的には安全が確保されるかもしれません。しかし、変化の激しい時代において、挑戦をしないこと自体が最大のリスクとなる可能性もあるのです。
実際、営業の現場でも似たような場面は多々あります。ある営業スタッフは、常に同じトークスクリプトや資料を使い続けていました。最初のうちは成果も上がっていましたが、時が経つにつれて、商談の成約率は次第に下がっていきました。
一方で、毎月のように新しい資料や言い回しを試していたスタッフは、変化に柔軟に対応でき、安定して成果を出し続けていたのです。
重要なのは、「リスク=変化」と捉えること。そして、その変化こそが、個人やチーム、組織の成長をもたらすのです。
古典「中庸」には、私が好きなこんな言葉があります。
「射は君子に似たること有り。これを正鵠に失すれば、反ってこれをその身に求む。」
つまり、的を外したときに、自分に原因を求めるのが君子である、という教えです。外的要因ではなく、まずは自分に非を求めます。自らの至らなさに向き合い、変化と成長を模索する姿勢が求められているのです。
減点主義ではなく、加点主義の評価制度を整備することで、失敗を恐れずに挑戦する文化が生まれます。さらに言えば、「失敗してもいいからやってみよう」といった企業風土が根付けば、自発的にリスクを冒す社員が増えていきます。
私が見てきた多くの成功企業には、こうした「挑戦を後押しする文化」が根付いています。たとえば、ある企業では新しい施策を実施した社員に対し、成果の有無にかかわらず「行動したこと」に対して評価をする仕組みがあります。この仕組みによって、日々新しい提案や改善案が生まれ、企業全体が常に進化しているのです。
もちろん、すべてのリスクを無謀に受け入れる必要はありません。重要なのは、リスクを見極め、可能な限り小さく管理しながらも、「ゼロ」にしないということ。
たとえば、新規事業の開発であれば、最初から完璧を目指すのではなく、小さな取り組み(=スモールスタート)を繰り返すことが重要です。仮説と検証を繰り返す中で、自然と組織が学習し、次第に成功確率も高まっていきます。
では、なぜそこまでしてリスクを取る必要があるのか?それは、「未来をつくるため」です。現状維持では未来は築けません。チャレンジを通じて得られる学びこそが、新しい景色を見ることができるだけでなく、次の時代を生き抜く力となるのです。
新規事業に取り組むということは、単に売上を上げるための手段ではありません。むしろ、組織そのものを成長させる仕組みであり、人を育てるためにあるのです。
「やらなければならない」ではなく、「やってみたい」と思える環境づくり。まずは、組織として、失敗を受け入れ、挑戦を讃える文化を育てる必要があります。
貴社では、新しいことに挑戦した社員を、どう評価していますか?挑戦を応援する文化は、根付いていますか?
著:南澤 博史