
「南澤さん、やった方がいいのは分かっているんですが、なかなか動けなくて…」―――これは、業績は安定しているものの、次の一手が打てずにいるある経営者の言葉です。
話を詳しく聞いていくと、決して怠けているわけではありません。むしろ真面目で、責任感も強く、これまで着実に成果を積み上げてきた方です。それでも動けない。ここに違和感がありました。
一般的には、「やる気の問題」「優先順位の問題」と捉えられがちです。しかし現場を見ていると、それだけでは説明がつかないケースが少なくありません。
実際には、「できない」のではありません。“ある前提”が、無意識のうちに行動を止めているのです。しかもそれは、本人すら気づいていない、もう一段深い“構造的な要因”です。
例えば、次のような前提があります。
完璧にやらなければならない、失敗してはいけない、評価される準備が整ってから動くべき――こうした考え方です。
一見すると、どれも正しい考え方に見えます。
しかし、この「正しさ」こそが行動を止める原因になっているケースが多いのです。
南澤も店長時代、同じような場面を何度も見てきました。「もう少し精度を高めてから」「もう少し準備してから」と言い続け、結果として何も動かない。慎重さが裏目に出る典型的なケースです。
新型車の独自チラシを一生懸命に作っているのですが、日が経つにつれて鮮度はどんどん落ちていく――そんな場面もありました。
では、なぜこのような前提が生まれるのでしょうか。
意外にも、過去の成功体験が足かせになることがあります。
それだけではありません。準備を徹底して成果を出した経験や、ミスによって評価が下がる環境、減点主義の組織風土などが重なることで、「失敗してはいけない」「完璧でなければならない」という前提が無意識に形成されていきます。
つまり、これは単なる性格や意志の問題ではありません。
経験と環境の積み重ねによって、“思考のパターン・ルール”として定着しているのです。
ここで見落とされがちな点があります。
慎重で優秀な人ほど、この前提に縛られやすいということです。
これまで成果を出してきた人ほど、「正しくやること」の重要性を理解しています。その結果、無意識のうちに“正解を出してから動く”という思考になりやすいのです。
この前提の厄介な点は、自分ではそれを“正しい判断”だと信じていることにあります。動いていないのではありません。
「今は動くべきではない」と、正しく判断しているつもりなのです。
この状態では、どれだけ「やろう」と思っても行動は変わりません。なぜなら、その前提の中では“動かないことが正解”だからです。
ここに、「やらない理由」とはまったく異なる構造があります。やらない理由が後付けの説明であるのに対し、前提は疑うことなく受け入れている“無意識のルール”です。
では、「動ける人」はどのような前提を持っているのでしょうか。
まずやってみる。
失敗は修正すればよい。
不完全でも前に進む。
こうした前提で行動しています。
違いは、能力や意志ではありません。
“前提の置き方”です。
例えば、「すべて整ってから始めるべき」という前提がある場合、スタートのハードルは極端に高くなります。その結果、いつまでも始めることができません。
一方で、「小さく始めればよい」という前提であれば、部分的に試す、期間限定で実行する、対象を絞って検証する、といった行動が自然に生まれます。
ここで重要なのは、前提は意識だけではなかなか変えられないという点です。そのため、期限を決めて未完成でも出す。
あえて不完全な状態でテストする。
評価基準を「結果」ではなく「実行」に置く。
こうした“仕組み”で前提を崩す必要があります。
これは個人の問題に見えて、実は組織の問題でもあります。
「失敗=評価が下がる」という空気がある組織では、誰も挑戦しなくなります。
逆に、「まずやってみること」が評価される文化であれば、行動は自然と増えていきます。
南澤がこれまで見てきた中で、成長し続ける組織には共通点があります。それは、「完璧さ」よりも「スピードと改善」を重視していることです。
もちろん、大きな意思決定は慎重であるべきです。しかし、よほど大きな失敗でない限り、失敗そのものが問題になることは多くありません。
重要なのは、その後にどう軌道修正するかです。むしろ、小さな失敗を繰り返しながら改善する方が、結果として精度は高まります。
ここまで見てくると、「動けない」という問題の本質は明確です。それは、やる気や能力の問題ではありません。
“無意識の前提に従って、正しく止まっている状態”です。
そしてその前提は、個人の中だけで完結しているものではなく、過去の経験や組織の文化によって強化されています。
さて、貴社ではどうでしょうか。
「やらない理由」ばかりを探していないでしょうか。
それとも、その奥にある“前提”に目を向けることができているでしょうか。
そして、その前提を「慎重さ」や「正しさ」として正当化していないでしょうか。
その前提のままで、本当にこれから先も通用するでしょうか。
著:南澤博史
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