
「南澤さん、我が社でも2年前までは、あんな接客をしていたなんて今となっては信じられないですよ……」―――これは、とある自動車販売店の経営者の一言でした。
南澤が2年ほど前に接客やマナーの指導に入らせていただいた店舗です。言葉遣い、姿勢、立ち振る舞い、商談中の間の取り方。細部を一つひとつ整えていきました。
社長は少し笑いながら、しかしどこか真剣な表情でこう続けました。
「ご指導いただく前は、それが“普通”だと思っていたんです。」
さらに最近、同業他社から中途採用で入社したスタッフの接客を見て、強い違和感を覚えたそうです。しかし、そのレベルこそが、かつての自社の“普通”だったと気づいた瞬間、何とも言えない複雑な思いが込み上げてきたとのことでした。
同じ状況なのに、感じ方がまるで違う。
2年前なら何とも思わなかった言葉遣い。見過ごしていた所作。ところが今では、小さなズレがはっきりと見えてしまう。しかも違和感を抱いたのは社長だけでなく、スタッフ全員だったと言います。
基準が上がるとは、こういうことなのだと思いました。
実は南澤自身も、店長になりたての頃は、自店の接客レベルを高いと思い込んでいました。数字も悪くなかった。大きなクレームもなかった。だから「うちはできている」と、どこかで安心していたのです。
ところが、同業他社の店舗を見学したとき、強烈な違和感を覚えました。
挨拶の声量、歩き方、商談の空気感。
お客様への目線の配り方。
その場の“空気の張り”が違う。
「ここまで違うのか……」
正直なところ、悔しさもありました。そして、自分の甘さに気づいた瞬間でもありました。自分の基準が低かっただけだったのです。
あの瞬間から、景色が変わりました。
一度上がった基準は、簡単には元に戻りません。
例えば、格段に美味しい料理を知ってしまえば、以前は満足していた味に物足りなさを覚えます。上質なホテルサービスを体験すれば、これまで気にならなかった接客に違和感を抱くようになります。
営業の現場でも同じです。
担当者が交代し、以前の担当者より対応の質が下がったとき、「前の担当者は良かった」という声が上がることがあります。顧客の基準がすでに引き上げられているからです。
そして、そのズレが大きくなれば、顧客の離反が起きやすくなります。
一度上がった基準は、簡単には下がりません。
だからこそ、スタッフ全員の基準を底上げしておく必要があるのです。
心理学では、人は“参照点”を基準に判断すると言われます。参照点が上がれば、それが新しい当たり前になります。
接客も同じです。
高いレベルを知れば、それが普通になる。
低いレベルは、もう見過ごせなくなる。
しかし、ここで忘れてはならないことがあります。
基準は、放っておけば上がるものではありません。
むしろ、何もしなければ、必ず下がります。
少しの妥協。
「今日は忙しいから仕方ない」という一言。
その積み重ねが、知らぬ間に基準を引き下げていきます。
だからこそ、南澤は考えます。
経営とは、売上をつくること以上に、基準をつくることなのではないか。
第一に、現状の正確な把握です。
自社の接客レベル、提案力、業務スピード。本当に客観視できているでしょうか。自分たちの“普通”は、案外、外から見ると決して高くないことがあります。
第二に、高い基準を知ること。
中国の古典『大学』には、「苟日新、日日新、又日新」とあります。
一日新たにするならば、日に日に新たにし、さらにまた新たにせよ。
基準とは、一度上げて終わりではありません。更新し続ける姿勢がなければ、すぐに形骸化します。
そして第三に、仕組みです。
特に重要なのは、最もレベルの低いスタッフの底上げです。そのためには、求められる最低限の基準を明確に設計しておかなければなりません。
基準が曖昧なままでは、指導は感覚的になります。
「なんとなく良くなれ」では、人は育ちません。
最低基準を明文化し、共有し、確認し続ける。
そこまで徹底して初めて、基準は“個人の意識”から“組織の文化”へと変わります。
文化になったとき、基準は揺らがなくなります。
一度“違い”を知った組織は、もう以前には戻れません。
基準が上がれば、見える景色が変わります。
景色が変われば、行動が変わります。
行動が変われば、成果が変わります。
そして成果が変われば、組織の自信も変わります。
放っておけば、基準は必ず下がります。
だからこそ問われます。
貴社の“普通”は、どの水準にありますか。
その基準は、意図して設計されたものでしょうか。
それとも、いつの間にか出来上がったものでしょうか。
基準を上げ続ける覚悟は、できていますか。
著:南澤博史
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